1920年台に内分泌学という概念が出現して以来、女性更年期障害の科学的分析が行われる様になってきました。それと同時に、男性も男性ホルモンの分泌低下があることから、男性にも更年期的な変化が訪れることが予想されると考えられました。
しかし、男性更年期についての一般的な医師の見解は先述の賀川哲夫氏が1929年に書き記した以下の見解からも見て取れます。
『様々な事実から推測すると、女子において一定の病的現象とみなされている更年期障害は、男子においては決してあり得ないものである。仮に高年において類似の症状が現われることがあっても、それは種々の点において女性更年期障害とは趣を異にしている、老成による生理的現象と見なされるべきものである』
もともと更年期障害というものは、ホルモンの分泌低下の要素と、加齢による変化の要素が加わったものではあるが、男性更年期は女性に比べて圧倒的に内分泌の変化の要素が少なく、かつホルモンの減少の度合いは極めて緩徐である。それ故、短時間に女性ホルモンが変化する女性更年期に比べ、症状は緩徐であり、また精神疾患などの深刻な合併症を引き起こす比率も低いと考えられていました。

また、1930年代という時代背景も男女における更年期像の確立に大きな影響を与えることとなります。
 1930年代前半というのは、世界的に見ると覇権主義の嵐が吹き荒れた時代でした。国家間の争いは、単純な軍事的な諍いから、国家を挙げての総力戦といった様相を呈していきます。その過程で、いかに国の力を結集するか。そのためには、どの様な社会形態が良いのか?国民の役割はどうあるべきか?などが議論され、いわゆる“在るべき国民像”というものが形成される事となります。
 その過程で、男女のあるべき姿というものが形成されていくわけですが、意図的に、あるべき姿を具現化する人を称え、あるべき姿から逸脱した人を揶揄もしくは非難する風潮が生まれます。
 その一つが、更年期年代の女性が引き起こしたスキャンダルや犯罪に対して巻き起こるバッシングです。大手の新聞や雑誌もこぞってその話題を記事にしました。
 この風潮は男性における更年期障害の有無や病態についての見解にも大きく影響を与えます。
 この時代の男性は、社会においても家庭においても規範的立場かつ指導的立場でいる事が要求されていました。いわゆる“ヘゲモニックな男性性”という概念です。ヘゲモニックとは、覇権的ないし指導的という意味合いを持つ言葉です。この時代、世界が帝国主義の影響を受けつつある状況で、男性は社会的にも家庭内においても、ヘゲモニックであることが暗黙のルールとなっていました。そのため、男性の脆弱性を含んだ男性更年期という概念を否定ないし周辺化し、女性更年期を差異化することによって、ヘモゲニックな男性性を強化する事が行われていきます。こうして男女の更年期障害の概念がダブルスタンダードとなって行ったのです。
 これは、男性更年期の医学的な観点で見たときには、明らかな後退でした。現在ある問題点から意図的に目をそらし、他の論点にすり替えるという事は、問題解決を遅らせることのみならず、解決手段の劣化をきたします。
 男性更年期障害の診断と治療の発展という観点から見ると、少々残念な事と思われます。

 更年期障害の治療という面においても、この時代は一つの転機となりました。
 内分泌学的観点から、ホルモンの不足が更年期障害の症状や身体的、肉体的変化をきたすならば、それを補充してやれば、病状は改善するのではないかという考え方の登場です。
 1930年代になると、男性ホルモンや女性ホルモンを含む各種のホルモン剤が次々に開発されます。そして、男女とも更年期障害にホルモン治療が行われていく様になって行きます。

 男性更年期の治療では、1934年に現在もスタンダードに使用されている男性ホルモン製剤“エナルモン”が発売されるなど、1936年の時点で我が国で使われていた男性ホルモン製剤の種類は19種類を数え、ホルモンブームと呼ぶべき状況ができています。
 我が国に於いても、男性更年期の治療と言うよりは、ヘゲモニックな男性性に立脚した回春術=アンチエイジングという観点で男性ホルモン投与が行われていくようになります。
 当時、エナルモンを含む男性ホルモン製剤は大変高価であったのですが、生産が間に合わないほど人気となりました。
 しかし、男性更年期を否定するヘゲモニックな男性性という観点からは、医学的に男性更年期を評価し、疾患としての治療を行うという概念は欠落し、単に回春術としての男性性の強化のみが強調されていくことになります。
 これは、男性の健康という面からの更年期診断と適切な治療については明らかな後退でした。

 この時代、もう一つの出来事がありました。1936年ベルリンオリンピック。この頃より、オリンピックに代表されるスポーツ大会が国家の威信を担うこととなります。
 国家の威信をかけた勝利至上主義が、男性ホルモン製剤に新たな役割と影を生み出して行きます。
 次回は男性ホルモンとドーピングという問題、『覇権主義と男性更年期治療』についての話をしたいと思います。

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岡宮 裕 院長
1990年 杏林大学医学部 卒業 慶應義塾大学腎臓内分泌代謝内科に入局 横浜市立市民病院・静岡赤十字病院・練馬総合病院他 腎臓病・高血圧・糖尿病・血液内科やアレルギー疾患など内科全般の幅広い医療に従事。 代々木上原の吉田クリニックにおいてプラセンタ注射を使った胎盤療法等の様々な領域について研鑽を重ねる。 2009年 代官山パークサイドクリニック 開業 2011年 海外渡航前医療センター 開設